ブログの更新をまるっと飛ばしてしまいました!!
「無意識で、書くのを忘れておりました」←M-1グランプリでやった「見取り図」のネタのフレーズ風に言うとこうなる…
↑もちろん冗談です。Snsはタッタッターと書きやすいけれど、何でブログは気が張るのでしょうか。日記で、いいはずなのだけど。下書きばかりになっていました。
さらっと読んでもらえるものをと、こちらも気負わずにかけますように。
とはいえ、ここ最近は、テレビでもどこでもブログでもSNSでも、気軽に冗談を言ったつもりでも、
意図が理解されず、冗談とも受け取られず炎上するという、そんな時代です…
気軽に、何も考えずに…さらっとつぶやけたTwitterも、
個人が特定できると、その背景を想像妄想して、「こうにちがいかい」ってなりがちです…あの人がそんな事急に言うはず無いっ、聞いたことないっ…あの人ならありそう…とか。
あ、話がどんどんそれていきます。
人と自分の境界線が曖昧になってる。なんせストレスフルな世の中です。
人との境界線が曖昧になるとどうなるか。他人(敢えて他人と書いていますが、家族やトモダチも含めて自分以外の人の意味です)のことも自分のことのように感じたりするし、自分の事は他人にも理解してもらえて当然と思ってしまいがち。
そして、何事も良いか悪いかで判断しがちかなと思います。例えば境界線は曖昧なのは悪い事なのか、良い事なのか、と。
良いとか悪いではなくて、合間な境界線は自分がなくなり、周りに振り回されたり(行動も感情も)するので、とっても心身ともに疲れ果ててしまいます。
境界線が適切な場所にあると自分の軸がしっかりして、なおかつ周りとの調和もとれて、社会的にも個人的にも過ごしやすくなります。
では、境界線はどこにあると良いのか。
それは、皮膚。肌です。
肉体としての自分は皮膚から内側です。強固なバリア機能(選択通過機能あり)で、体の中に入れるもの入れないものを別けています。
実際は、この境界線である肌は、誰にでも触られていいものではないので、この周りにパーソナルスペースとしての見えない境界線を皆、持っています。
このパーソナルスペースの境界線の選択通過機能で、近くにいて大丈夫な人、環境や状況を判断しています。
例えばこれらの境界線は、お酒を飲んだり、大きな喜びやハイテンションの渦中では曖昧さが出ます。スポーツ観戦や、ライブなどでも、ともに感情が爆発していると知らない人ともハイタッチして喜んだり!お酒を飲んで気が大きくなる、との表現力もあるように、普段はしないけど一緒にいる人達と肩を組んだり距離が近くなっても平気になったり。
イメージはわきますでしょうか?
自分と自分以外の他者とを隔てる境界線とは、肌。皮膚の事。
境界線が、曖昧なときはここに触れて触覚で脳に境界線をぎっちり思い出させて働かせる事ができます。
はい、肌に触れられると「自分の境界線を触れられた」事が、脳に伝わります。
触れられる事を許す事も、許さない事も、そこから脳がどう判断するかになりますが
今度は、長く触れられていると馴染んできて(脳が危険だと感じなく)自分と触れてるものとの境目を感じにくくなることもありますよね。一体化する感覚です。
水中での水と一体化や、風や空気と一体化したことのある方も?!一体化はとても心地よいんですよね
と、マッサージも体に触れさせていただいて、境界線に立ち入らせていただいております。